かぐや姫

竹取物語のヤバさ

竹取物語(かぐや姫)という物語のヤバさ。日本人なら誰でも知っていて、そんなに

疑問にも感じていないだろうけど、あの話よくよく考えてみると結構ヤバいと思う。

誰が書いたのか、何のために書いたのか、どーゆう意味なのか、調べれば調べるほど

謎の多い物語である。


羽衣伝承の派生形?

まずは、日本中に多く残っている羽衣伝承(天女伝承)の変化球的な話である。

天から降りてきた天女が、羽衣を無くして天に帰れなくなる、みたいな話。

ただ、かぐや姫の場合、具体的に「月」に帰るという風になっている。ここが一つヤバい。

平安時代の天文学的知識

「竹取物語」が書かれたのは平安時代であると言われている。

(実際は原本は見つかっておらず、写本は室町時代のものが最古)

では、平安時代の日本人は「月」をどういうモノだと認識していたのか?

西洋では地動説が一般化するのは16世紀からである。それまでの多くのヨーロッパ人は

太陽や月を空を動く天蓋(ドーム)に描かれた絵のようなものだと思っていた。

日本人の天文知識がどういった水準だったのかは分からないが、平安時代の人にしてみても

おそらく、「月」というものはそういう認識だったのだろう。

現代人からすれば、月は天体であり、質量をもった大地(ワンピース的にはヴァース?)

空気はないが、人が歩けるだけの土地があるということは理解できる。

その現代的な知識があって、月の使者とか月に帰るという設定が理解できるわけで。

ひょっとしたら、当時の平安の人からすれば設定自体が意味不明に捉えられてたのかもしれない。

(あるいは「月」自体が{使者}ではなく{死者}の国の比喩として読まれていたのではないか)

最終的に姫様は誰とも結婚することなくジジババに見守られながらこの世を去りました的な?

月に帰るというヤバさ

他の日本の昔話でも、おかしな設定やツッコミたくなる展開は多い。

(もちろん、そこにツッコむのは、野暮というものだが)

かぐや姫の場合、結末がヤバい。

例えば、「桃太郎」の場合。桃から生まれるという出生は奇抜だが、

成長して鬼を退治して宝物を得る、出世話、英雄譚としては納得できる。

金太郎や一寸法師なんかも出だしはキャッチーだが、結末は往々にして腑に落ちる結末だ。

だが、竹取物語(かぐや姫)の場合、結末に「!?」という気持ちになる。

・竹から生まれる→斬新な導入、面白い、わかる

・竹から金銀財宝出てくる→ジジババ孝行、わかる

・美人なって求婚される→女性の幸せ、わかる

・月に帰る→「え・・・月なの?」

「急に月!? なんか伏線ありましたっけ?」

竹から生まれて→月に帰る。 いやいや、全然つながってないし、すごい強引!

奇をてらいすぎて、読んでる人、置いてけぼりの急展開・・・何故こうなった?


ヒロインとしての物語

他の女性が主人公(ヒロイン)の物語と比べてみても異質さがハンパない。

例えば、「白雪姫」「シンデレラ」「人魚姫」なんかと比べても

最後はなんやかんやあっても王子様と結ばれるというハッピーエンドになることが多い。

でも、かぐや姫の場合、帝(時の最高権力者)とも結ばれることはない。

書かれた当時の世相や政治に対しての、皮肉みたいなものも含まれているのかもしれないが

それにしたって、「月」なの・・・?


個人的な竹取物語の解釈

{平安時代に年老いた夫婦のもとに生まれた一人娘、

才があり、美しく、どこに出しても恥ずかしくない自慢の娘、

男にもモテ、これから幸せな家庭を持とうという矢先、

病で帰らぬ人となってしまい、老夫婦は大層、悲しんだ。}

その出来事を憐れに思った人が「空想の作り話」として書いたのが「竹取物語」

この物語をこう解釈したらなんか納得できるし、切ない。

物語とは、結局読んだ人がどう「納得」するか、しかないのだろう。

戯言
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