心の断捨離
信念、こだわり、自尊心。一見必要なこれらの感情、案外自分の生活の
生きにくさにつながっている様に思う。特に自尊心は自立する社会人には
必要なのだろうが、大きすぎる自尊心は自身の重荷になることもしばしば。
心の断捨離も時には必要なのだと思う。
信念
「正しいと信じる自分の考え」、辞書にはこうある。
でもこれは、「他者」にも同じことが言える。
自分が信じることがあると同じくらい、他の人にも信じることがあって
お互いの信じていることがぶつかることがよくある。
その時、大切なのはお互いを尊重すること。
「どちらが間違っているのか」ではなく、どちらも正しい。
どちらも正しいうえで、「今回はこっちの方が適切である」
という妥協案を模索することが肝要だと思う。
これが案外、実践するのは難しいと思うが、この意識を常に持っておきたい。
そうすれば、大きく間違えることは減らせるはずである。
こだわり
こだわりとは、決して悪いことではない。
仕事場において、日常生活において、こだわりが役に立つときは多い。
ただ、一歩間違えれば、毒になる類のモノだとも思う。
わかりやすく言うと、こだわりは「他人が認める」ものである。
自分本位な行動・考え方でも、周りが評価したり、結果が伴ったりした時、
その行動を「こだわり」と認められる。
周りから認められない場合、それらは「ワガママ」・「自分勝手」と
言われて、人の迷惑になる。そういうことなんじゃないだろうか。
結局、結果論になってしまうのだろうが、やはり成功は大切である。
自尊心
自尊心とは、本当に必要だろうか?と考えてしまう。
辞書で調べると、「自らの事を誇らしく思うこと」とある。
最近では、「自己肯定感」や「プライド」のような意味で用いられることが
多い気もするが、なんかどちらも、良い意味に聞こえないような気が・・・
(ちょっと、ひねくれすぎかもしれないが)
自分を誇りに思うのは、悪いことではないが、問題なのは他人を卑下すること。
人を下に見ても、自分の立ち位置は変わらないのに、何故こういう考え方に
陥るのだろうか?
「人を変えるより、自分を変える方が早い」これはホントにその通りだと思う。
なのに、何故か、人に変わってもらうことを強く願ってしまう。
これはなんなのだろう?
自分は間違ってないと思っているから? 変わるのが面倒くさいから?
ん~・・・わからん。
とりあえず、風呂入って寝よ!
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