幸福論

足るを知る

「足るを知る者は富む」というのはすごくしっくりくる考え方だと思う。

人の欲に限りがない以上、どこかで自ら線引きをしないと、常に渇き続ける毎日を

送ることになる。ここで良い。今が十分…と現状に満足することが欲を抑える

ことになるのではないだろうか。


幸せというゴール

「幸せになる為に努力する」という考え方に違和感を覚える。

幸せにはゴールがない(人によって幸福の基準が違うから)という風に思っていて、

例えるなら、どこまで走ればいいかわからないマラソンの様。

これは、なんというか、つらい・・・。

「ここからここまで走れ!」と言われているのなら頑張りようもあるけど、

「とりあえず、ただ走れ!」と言われると「いや、どこまで!?」となる。

何が言いたいかというと、「幸せになる」というのは頑張りにくいんじゃあないかと

幸せになったという成果が明確に分からないと続けるのがしんどくなる。


「幸せにしてもらう」という考え方

「幸せになる」ではなく「幸せにしてもらう」という考え方ではどうか。

よく結婚相手に使う言葉で「幸せにしてください」というものがあるが、

この考え方もどうだろうか・・・

人に頼るのは悪いことではないが、「幸福」とはあくまでもその人、

個人の価値観であって他者にゆだねるのは、少し無責任に感じる。

幸せは「自分でなる」ものであって、誰かに「してもらう」ものではない。

とはいえ、そういう「幸せ」のカタチもあるのかもしれない。

これが難しい・・・幸福とはその人が「幸せ~」となればそれが

正解なのだろうから、他人がとやかく言うことでもないんだろう。

万人が納得しうる、ひとまずの「幸福」はないのだろうか?


不幸を軸に考えてみる。

逆に不幸から幸福を見てはどうだろうか。

人の不幸は意外とゴールが出やすいと思う。例えば

「金がない」「モテない」「将来が不安」「病気になりたくない」

これらは、もちろん苦にならない人もいるだろうが、万人が聞けば

納得出来る「不幸の要因」であろうと思う。

この「不幸の要因」を取り除く為に努力というのは幸せへの努力と比べて

「すごくわかりやすい!」


不幸ではない=幸せ

「幸せ」というのは気持ち次第でいくらでも求めることが出来る。際限がない。

「不幸」というのは努力次第で、不幸から脱出できる。

幸せ=ゼロから足し算していく作業

不幸=マイナスからゼロに戻す作業

こう考えればわかりやすいのかもしれない。そうして、不幸値がマイナスからゼロに

達した時点で「幸せ」と呼べばいいんじゃないだろうか。

迷言
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